ゲーテの「マイペース」はせわしない
大学時代、「俺はこれからマイペースに生きていくから」と、いきなり言い出した友人がいた。キャンパスに誰かに会うたびに、そう宣言する友人を見て、私は思ったのだ。
「すでにまったくマイペースではない……」
閑話休題。マイペースといえば、どこか「ゆっくりやらせてくれ」というニュアンスが強いが、「自分のペース」が必ずしも、ゆったりしたものとは限らないだろう。
ドイツの文豪、ゲーテはこう言った。
「わたしの本性の欲求が、わたしを多様な活動へと駆り立てるのです。 どのような寒村にあっても、不毛の孤島にあっても、わたしはやはり忙しく働いていることでしょう」
文豪でもあり、詩人でもあり、政治家でもあり、科学者でもあるゲーテは、実にせわしない男である。だが、それが自分のペースなのだろう。
環境に左右されることなく、意図せずとも貫いてしまう自己。それを「個性」と呼ぶのかもしれない。個性に合わせた、自分のペースでやろうではありませんか。
スキャンダラス過ぎる島崎藤村
今日3月25日は、島崎藤村の誕生日。
姪を妊娠させて、海外へ逃亡。散々に周囲を怒らせておいて、小説『新生』で自ら姪との関係を暴露。今でいえば、自分で自分に文春砲を打つようなファンキーさ。
『大人のためのざんねんな偉人伝』の機会があれば、ご登場いただくとするか。
格好よくない大久保利通が好きな理由
大久保利通に惹かれるのは、いつも「次善の策」をとったことだ。
よりベターな選択肢をとり続ける。現実を少しでも前進させるには、それしかない。おそろしく地道だが、それが実務というものである。
理想にこだわり、それが叶わなければ退場するーーそんな生き方は格好はよいが、何も変えない。自己陶酔、自己満足に過ぎないのではなかろうか。
大久保はそうではなかった。清濁併せ吞み、周囲から嫌われても、前進させた。だから、私は好きなのだ。
ダメ息子に悩まされた「音楽の父」
今日3月21日は「音楽の父」「大バッハ」と呼ばれるヨハン・ゼバスティアン・バッハの誕生日だ。
バッハは非常に几帳面で、持ち物や貴重品の管理はいつも同じでなくては気が済まなかった。置く場所が常に一定ではなく、毎日のように、物をなくしている私とは、大違いである。
肖像画を見れば、物事に厳格そうな顔つきをしている。私が何かの拍子でご一緒することがあったならば、必ず叱責を受けたに違いない。知り合いじゃなくてよかった。無駄使いも嫌ったという。
ただ、これは『ざんねんな偉人伝』では、書ききれなかったが、息子たちには甘く、金を吸い取られても、厳しくすることができなかった。音楽家としての将来に期待したりしている。そこは何だか人間らしくて、ほっとする。バッハの愚痴を聞いてみたいものだ。
週刊文春で『ざんねんな偉人伝』が紹介されました
週刊文春の「ベストセラー解剖」のコーナー。ああ、いつか解剖されてみたい……そんな欲もなくなるほど、ヒットとは無縁だったが(ロングセラーはありますけどね!)、このたび、『ざんねんな偉人伝』が紹介された。
『ざんねんな偉人伝』は、書店での児童書コーナーと一般向けと両面で展開されていることもあって、読んでいる人も結構、見かける。書店の力を再認識した次第。なかなか大変な時代だけれども、なんとか踏ん張ってほしいと、児童書コーナーで、本に群がる子どもたちをみると、特にそう思うのだ。
掲載号は、2018年2月22日号。許す! 新卒で落とされたことも、中途で落とされたことも、許すぞ、文春!
引き続き、よろしくお願いいたします。
大久保になれなかったし、なるつもりもなかった伊藤博文(書評:『これからの時代のリーダー論』山川博史)
一国の君主にしろ、会社の経営者にしろ、リーダーたるものは、指導力を発揮せねば、と気負いがちだが、無理して自分の性格を変えるのは難しい。
明治政府においては、大久保利通が殺されると、伊藤博文が政府を引っ張っていくことになるが、大久保のような指導力を伊藤は持たなかった。持たなかったからこそ、調和型のリーダーとして、側近たちの強みを引き出すというリーダーシップを発揮した。
こう書くと、まるで大久保が独断専行だったかのような印象を与えるが、大久保は意外と、相手の意見をまず聞いてから、その場で即断はせず、じっくり考えるというところがあった。ただ、大久保はあまりに迫力があり過ぎた。議場に入るだけで、私語がぴたりと止むほどだったというから、本音を引き出すタイプのリーダではなかっただろう。
今、なぜ部下はあなたに心を開かないのか? これからの時代のリーダー論 (Sanctuary books)
- 作者: 山川博史
- 出版社/メーカー: サンクチュアリ出版
- 発売日: 2014/09/12
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログを見る
『これからの時代のリーダー論』(山川博史)を読了。表紙の緩さに惹かれて手に取ったが、「リーダーはかくあるべし」と思い込んで、どこか無理している人には、最適の一冊と言えるだろう。
私もかつては、背伸びをして、ノリで何でも解決したがったリーダーだった。しかし、多くの経験を経ることで気付いたのだ。
部下が求めているのは、引っ張っていってくれるリーダーでも、優しいリーダーでもなく、自分のことをちゃんと見てくれるリーダーだということに。
数多いリーダー論を使って、自分をコントロールしようとするのではなく、チームをマネジメントする中で、自分に適切な役割を与えてくれて、正しい方向を指し示してくれるだけでいいと多くの部下は考えている。
(『これからの時代のリーダー論』p41,p42より)
伊藤博文は、現代社会でもうまく対応できそうだ。しかし、女癖が悪すぎるので、コンプライアンスの面で、明治のように活躍はできなかっただろうな。
大人も読んで元気になるマイティシリーズ
ウォールペイント・アーティストのロコサトシが描く、マイティワールド。鮮やかな色彩と、ダイナミックな展開で、ぐいぐいと絵本のなかで引きずり込まれるよう。
『ばくはつマイティ』は、子どもはゲラゲラ笑っているが、もう何もかも面倒になったときに、大人が読むのも、とてもよいのである。
『たまごのマイティ』は、子どもは「どうなるのだろう」と目を丸くしているが、何だか他人に損なわれてばかりのような気がするときに、大人が読むのも、とてもよいのである。
大人だって、心をからっぽにして、ボケーっと絵本を読むのも、悪くない。そう思わせてくれる、マイティシリーズなのだ。