大久保になれなかったし、なるつもりもなかった伊藤博文(書評:『これからの時代のリーダー論』山川博史)
一国の君主にしろ、会社の経営者にしろ、リーダーたるものは、指導力を発揮せねば、と気負いがちだが、無理して自分の性格を変えるのは難しい。
明治政府においては、大久保利通が殺されると、伊藤博文が政府を引っ張っていくことになるが、大久保のような指導力を伊藤は持たなかった。持たなかったからこそ、調和型のリーダーとして、側近たちの強みを引き出すというリーダーシップを発揮した。
こう書くと、まるで大久保が独断専行だったかのような印象を与えるが、大久保は意外と、相手の意見をまず聞いてから、その場で即断はせず、じっくり考えるというところがあった。ただ、大久保はあまりに迫力があり過ぎた。議場に入るだけで、私語がぴたりと止むほどだったというから、本音を引き出すタイプのリーダではなかっただろう。
今、なぜ部下はあなたに心を開かないのか? これからの時代のリーダー論 (Sanctuary books)
- 作者: 山川博史
- 出版社/メーカー: サンクチュアリ出版
- 発売日: 2014/09/12
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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『これからの時代のリーダー論』(山川博史)を読了。表紙の緩さに惹かれて手に取ったが、「リーダーはかくあるべし」と思い込んで、どこか無理している人には、最適の一冊と言えるだろう。
私もかつては、背伸びをして、ノリで何でも解決したがったリーダーだった。しかし、多くの経験を経ることで気付いたのだ。
部下が求めているのは、引っ張っていってくれるリーダーでも、優しいリーダーでもなく、自分のことをちゃんと見てくれるリーダーだということに。
数多いリーダー論を使って、自分をコントロールしようとするのではなく、チームをマネジメントする中で、自分に適切な役割を与えてくれて、正しい方向を指し示してくれるだけでいいと多くの部下は考えている。
(『これからの時代のリーダー論』p41,p42より)
伊藤博文は、現代社会でもうまく対応できそうだ。しかし、女癖が悪すぎるので、コンプライアンスの面で、明治のように活躍はできなかっただろうな。