自分のウィークポイントに誘惑はスルリと入り込む(藤沢周平の『闇の歯車』で読み説く幸福論)
「この問題さえなければな……」
人生で、そんな悩みを抱くことは、誰にでもあるだろう。己の境遇かもしれないし、長きにわたるコンプレックスかもしれない。「なぜそんなバカなことをしてしまったのだ……」と周囲が唖然とするようなヘタな詐欺に引っかかったり、思わぬ悪事に手を染めてしまうのは、そんな自分のウィークポイントを運悪く突かれてしまったから、ということは、よくあるように思う。
藤沢周平の『闇の歯車』では、赤ちょうちん「おかめ」に集まる常連客4人の視点から、物語が展開されていく。常連といっても、4人が言葉を交わすことはない。ただただ、おのおのが静かに酒を飲むだけの関係。その理由は、4人のうちの一人、佐之助による心中のセリフに凝縮されている。
「それぞれ、わけがあるだろうさ―」
そう、確かに、それぞれワケがあった。
博打打ちの佐之助は、恐喝の下請けのような危ない仕事をしては、日銭を稼いでいる。一緒に住んでいた女、きえは、佐之助のそんな生き方に危うさを覚えて、ある日、忽然と姿を消す。孤独に暮らす佐之助だったが、自分と同じように相手に逃げられた女、おくみを心を通わせるようになる。
久々に孤独から抜け出た佐之助だったが、問題は暮らしていくための金である。依頼される危ない仕事がついに、殺しに及んだときに、佐之助は今の生活から抜け出すことを決意。そして、誘惑に乗っかるのである。
「押し込み強盗をしないか。報酬は100両」
持ちかけたのは、愛想のいい笑いを浮かべる小太りの男、伊兵衛である。この男、佐之助だけではなく、おかめの常連客である、ほかの3人にも声をかけていく。「笑ゥせぇるすまん」の喪黒福造ばりに、それぞれの心の隙間を埋めるかのように、この「押し込み強盗プロジェクト」に巻き込んでいくのである。
ほかの3人とは、30歳過ぎの浪人、白髪の隠居、商家の若旦那。状況はそれぞれだが、のっぴりならない深刻な事情を抱えている点では共通している。
「大きな金さえあれば、この人生の苦境から脱することができるはず」
みながそう思い込み、伊兵衛の悪事に手を貸すが、そうはうまくいかないのが、人生である。そして、何でもない日々のなかで、実は手にしていた幸福に、みながそれを失って初めて気づいていく。
「日雇いでも何でもいい。世間の表に出してもらって、まともに働き、小さな金をもらって暮らすのだ」
4人のうち、唯一、かろうじてハッピーエンドで終わった、ある人物に、そんなふうに語らせて物語は終わる。
解決したい大きな問題があるとき、そのことばかりに心をとらわれがちだ。しかし、その問題を解決したいとなぜ自分は切望するのか。その根本に、自分が大切にしてすでに持っている「何か」があるからではないだろうか。幸せに生きるとは、今持っているものに気づくことなのだろう。