真山知幸ジャーナル

告知、執筆活動の記録のほか、書評、名言、偉人についてなど

なぜ文章がわかりにくくなるのか

今日も今日とて原稿を書いておった。

「せっせせっせ」という言葉がしっくりくる。

  

ほんとは「だーっと」とか「ぶわーっと」書いたりしたいのだけども、

いかんせん、僕は睡眠時間を6時間はとらないと、

文章を書くところではなくなる。

なので、毎日少しずつコツコツ書くしかないのですなあ。

前のエントリでは「清涼院流水の小説作法」より、

「向上心のある書き手のスタンスには3つのタイプある」

というトピックスを紹介したが、

今日は「なんだかわかりづらいなあ」という文章に2つ遭遇。

 

2つとも、いままさに書いている自分の原稿なんだけども、

読み返せばすぐに原因が判明。

本筋から外れた情報が邪魔になっている。

削除すれば、すっきりわかりやすくなった。

なら初めから書かなきゃいいやん、ということなんだが、

書いているときは、「ここは本筋からやや外れるが触れておこう」と

いう気持ちでつい足してしまっている。

そこが、後で読むとひっかかってくるのである。

他人の文章でも「わかりにくい文章」というのは

大抵は余分な情報によるケースが多い。

順番をいれかえたり、割愛することでうまくいく。

本人はサービス精神のつもりでも

裏目に出てることが少なくないのだ。

だけど、脱線したり、余計なことを書きながらも、

なお、すらすら読めて面白い文章というものもある。

東海林さだお三浦しをんのエッセイなんかがそうだ。

笑福亭鶴瓶のしゃべりのように、

寄り道しながら、楽しませる芸が確かにある。

そんなのもいつか書いてみたいが、

いまはまだ残念ながら、筆力が足りない。

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