逸話が人物像を形作り、人物像が逸話を際立たせる ~大久保利通の冗談~
偉人の素顔に迫る場合に、エピソードの拾い方は、大きく分けて2つある。
「いかにもその人らしいエピソード」と「イメージにそぐわないエピソード」だ。
アメリカとヨーロッパを廻ったときに、
ほとんど口を効かなかったというエピソードがある
これなんぞは、いかにも大久保らしい話である。
無駄口を叩くことは、ほとんどなく、
それがゆえに一言に重みがあったのが、大久保という人物である。
意見が対立しても
「なんじゃっちい」
の一言で、異論を押さえ込む威圧感が大久保にもあった。
それが通用しなかったのが司法卿の江藤新平であり、
征韓論では、大久保は弁が立つ江藤に征韓論の議論で完全に言い負かされている。
その屈辱が、江藤への冷酷な仕打ちにつながったとも言われているが、
冷酷な行動もまた、いかにも大久保らしいものとして、語られがちである。
しかし、一方で、大久保には、こんな茶目っ気のある一面もあった。
ある日のこと、大久保利通の自宅を訪れた高橋新吉が25ドルを忘れていった。
高橋は、後に日本勧業銀行の総裁となる人物である。
当時の25ドルといえば、富岡製糸工場の1年分の給料にあたる大金であった。
慌てた高橋のもとに、大久保の妻から連絡があったという。
そのとき、高橋が妻から聞いた大久保の言葉がこれだ。
「高橋は金持ちになったとみえる。
彼が帰ったあとに札が25ドル落ちていたが、
西洋の土産にくれたのじゃろう」
周囲が震え上がるほど威圧的な雰囲気を持つ一方で、
時には、こんな冗談も言う男だった。
また大久保は子煩悩で、
多忙の中でも家族の時間を大切にした。
どんな男でも、冗談を言うこともあるだろうし、
わが子を大切にする気持ちを持つのもむしろ、当然である。
それが意外な一面として語られること自体が、
大久保の政治官としての迫力を物語っているように思う。