名言相談室(2)「自由な大学生活に漠然とした不安を感じる」
こんばんは。
飽き性の私でも2回くらいは続けることができるんです。
ということで、名言相談室です。
京都府にお住まいの19歳の女性、
ガツンとみかんさんから、お便りいただきました。
ちょっと季節外れのラジオネームですが、こんなお悩み。
「毎日勉強がしんどかった高校受験が終わって、
4月から大学生になり、1年が経とうとしています。
ベタはありますが、テニスサークルに入って、
コンビニでアルバイトして、
それなりに大学生活を楽しんでいます。
でもなんか、このまま明確な目的もないまま、過ごしていいものなのか。
これだけ時間があるんだから、
もっと大きなことにチャレンジしなければならないのでは、
と思いながらも、どうすればいいか分からないまま、
思い切った行動がとれずにいます。
毎日楽しいといえば楽しいのですが……」
ああ、なるほどですね。
大学で友達ができない、とかではなくて、
そこそこに満たされているだけに、
何かぼんやりとした不安を感じていると。
そういうときに限って、同じく大学デビューした高校の同級生にばったり会うものです。
そして、海外留学を考えてるとか聞かされ、
それなりに満足しているはずの自分の大学生活が
何かつまらないもののように思えてしまう。
モラトリアムならではの悩みですが、
一体、なぜなんでしょうか。
先生、教えてください。
「人はあらゆる自由を許されたとき、
自らの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。
人間は永遠に自由では有り得ない。
なぜなら人間は生きており、又死なねばならず、
そして人間は考えるからだ。」
これは、坂口安吾が終戦後の日本の空気について書いたものです。
制限だらけの戦争が終わって自由になった。
だけど、その自由は意外としれていて、案外に物足りないもの。
そうです、あなたもまた受験という名の戦争が終わり、
念願の自由を手に入れたことで、逆に不自由さを感じている。
なぜならば、自由といっても本当に何でもできるわけではないですからね。
お金だって限界があるし、場所もどこでも行けるわけじゃない。
では、金がいくらでも費やせる立場で、
労働もしなくてよい身分ならば、
本当の自由が手に入るのか。
いや、手に入りません。
人はいつか死ななければならないからです。
では、あなたはどうすればいいのでしょうか。
「不自由な自由」を与えられる前に戻ればいいのでしょうか。
安吾は戦争中を振りかえって、それを否定しています。
「たとえ爆弾の絶えざる恐怖があるにしても、考えることがない限り、人は常に気楽であり、ただ惚れ惚れと見とれておれば良かったのだ。私は一人の馬鹿であった。最も無邪気に戦争と遊び戯れていた。」
自由過ぎることに「不自由さ」を感じるのは、
あなたがそれだけ「考えている」ということでもあります。
だから、そのままでいいんじゃないですか。
今は生ぬるい自由を味わいながら、むしろ、その調子で悩みましょう。
そうしているうちに、たかだか知れている人生の自由を犠牲にして打ち込める、
とまでいかなくても、これをしてもいいかな、というくらいものは出てくるはずです。
堕落のあとの飛躍がきっとあります。
今回は割りとマジメなこと話しました。
安吾先生、ありがとうございました!
ガツンとみかんさん、がんばってくださいね!
【今回の本】
ずーっと堕落しまくればいいんだ、という本ではないのであしからず(笑)
堕落論 (新潮文庫) (2000/05/30) 坂口 安吾 商品詳細を見る |