真山知幸ジャーナル

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「教育虐待」と「睡眠負債」

「教育虐待」という言葉が目に飛び込んできた。内容は想像がつく。子どもの受験に備えて、親の指導がエスカレートすることだろう。

 

週の始まりから読みたい記事ではなかったが、「教育虐待」という言葉に引きずり出されて、一読。これは、なるほど、虐待そのものだ。

 

www.tokyo-np.co.jp

 

増加する中学受験者数に、加熱する親。

 

東京で子どもを育てていれば、それほど珍しく感じる事象ではない。だが、過度になれば、子どもにとっては、もはや虐待に等しい。それが「教育虐待」として、クローズアップされてきた。

 

これは「睡眠負債」の言葉が出てきたときに似ているように思う。

 

睡眠不足自体は、何も珍しい事象ではない。だけど、睡眠不足が日々溜まることを「睡眠負債」と呼ばれれば、その深刻さは増す。

 

何とかしなくてはならない。そう思わせる力を持つ言葉だ。「教育虐待」も、そう呼ばれれば、切実さが増すように。

 

事象が言葉がつくり、言葉が事象をつくる。何も新しい言葉は、新しい事象にのみつけられるものではない。すでに横行していることを改めてとらえなおすには、腑に落ちる表現が求められる。

 

「教育虐待」や「睡眠負債」は、その役割を十分に果たしているように思う。