「教育虐待」と「睡眠負債」
「教育虐待」という言葉が目に飛び込んできた。内容は想像がつく。子どもの受験に備えて、親の指導がエスカレートすることだろう。
週の始まりから読みたい記事ではなかったが、「教育虐待」という言葉に引きずり出されて、一読。これは、なるほど、虐待そのものだ。
増加する中学受験者数に、加熱する親。
東京で子どもを育てていれば、それほど珍しく感じる事象ではない。だが、過度になれば、子どもにとっては、もはや虐待に等しい。それが「教育虐待」として、クローズアップされてきた。
これは「睡眠負債」の言葉が出てきたときに似ているように思う。
睡眠不足自体は、何も珍しい事象ではない。だけど、睡眠不足が日々溜まることを「睡眠負債」と呼ばれれば、その深刻さは増す。
何とかしなくてはならない。そう思わせる力を持つ言葉だ。「教育虐待」も、そう呼ばれれば、切実さが増すように。
事象が言葉がつくり、言葉が事象をつくる。何も新しい言葉は、新しい事象にのみつけられるものではない。すでに横行していることを改めてとらえなおすには、腑に落ちる表現が求められる。
「教育虐待」や「睡眠負債」は、その役割を十分に果たしているように思う。