真山知幸ジャーナル

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中島らもが40歳でアル中になったワケ

働き盛りと言われることが多い、40代。僕もそのゾーンについに入った。なるほど、いろいろな仕事が降りかかってくる、お年頃らしい。

 

中島らもがアル中になったのも、まさに40代に突入する時期のことだった。コピーライターとして猛烈な量の仕事をこなしていた、らもさん。ある仕事をきっかけに、人生が暗転がする。

 

それは、ミステリーの脚本である。

 

中島 三十九歳から四十歳のおれについて、あるとき、ミステリーの脚本の依頼が来たの。大阪のホテルプラザからね。ホテルプラザで、まずミステリーの芝居をやって、そこからお客さんに泊まってもらって、次の朝、その解決編を観てもらおうという企画だった。(『らもチチ わたしの半生 中年篇』より)

 

楽勝だろうと引き受けた、らもさんは、ある事実に気づく。それは「自分には、トリックが作れない」ということ。焦りのなか、芝居の本番は容赦なく近づいてくる。なんとか書き上げたのは、芝居の6日前のことだったという。

 

 

脂汗たらたらで、毎日ウイスキーのボトル一本半くらい空けて、まあ、何とか仕上がったんだけど、その辺からおかしくなってきて、毎日ウイスキーを二本ずつ飲むような生活が続いたの。(『らもチチ わたしの半生 中年篇』より)

 

その後、肝機能障害で入院。さらに、翌年には、うつ病がらもさんを襲う。壮絶な40代を過ごすことになる。

 

経験と実績が積みあがってきて、来た仕事を片っ端から受けたくなる。得意分野をガンガンやるのはもちろん、残りの年月もチラついて、新たなチャレンジもしたくなる――。

 

40代とは、そんな時期なのかもしれない。

 

 

らもチチ 私の半生 中年篇 (講談社文庫)

らもチチ 私の半生 中年篇 (講談社文庫)